いらいらする

のです。

最近、自分がいらいらしている事に気がついた。もちろん、私はえびす様ではないので一日中100%ニコニコしている事は不可能である。だって人間だもの。

とはいえ、ここ最近はいらいらが顕著に表れてしまっている。仕事の先輩にも「(怒っている事が)わかりやすい」と言われてしまうくらいに。学生の頃は割といらいらしていたような気がする。現在はあまりそういう感情を抱かなくなり「大人になった」と、都合良く解釈していたが、正しくは人と関わる機会が減った事に比例してそういう感情を抱く機会も減っただけだった。まるで成長していなかった。

いらいらは、自分の思った通りにならない時や邪魔をされた時に発生している。私の場合。元来そういうものかもしれないが。自分が喋った事を聞き取ってもらえないとか、前に話した事を覚えていてくれないとか、割り込みされたとか、まあそんな所である。

私はこの歳になって、いらいらとかムカつくとかそんな感情を自然と放棄する方法を身につけている事に気がつく。"諦め"である。他人は自分と違うからしょうがない、起こってしまったならしょうがない、また次頑張ろう、こんな具合に。この''諦め''の良い点は、いらいらしなくて済む、精神衛生上よろしいという事だ。例えば、電車に間に合わなかった!いらいら!よりも、また次が来るさ☺︎の方が気が楽である。こんな事を繰り返していると、この''諦め''を''ポジティブ''と捉えてもらえたりもする。元々ネガティブな私にとって、まさか自分がポジティブと言われる日が来るとは思ってもみなかった。若き日の私に教えてあげて欲しい。タイムマシーン、カモン。

会社の給湯室で先輩に↑のような事を話すと「どうしてそんな考えが出来るようになったのか」と聞かれた。その先輩は''諦め''による許しが出来ないらしい。自分にも他人にも。それが辛いと。私も今でこそこんなチャランポランだが、元々は先輩と同じで''諦め''る事が出来なかった。内気な私は''諦め''を拒絶する反応を人に対しての怒りではなく、心配性という方向で途轍もなく発揮していた。その1番の例が勉強である。一度良い成績を取ってしまうと、周囲はアイツ頭良い奴と思われ、勝手に次も良い成績を取ると思われる(、と当時の私は勝手に思っていた)。その期待を裏切りたく無い、周囲からのイメージ通りの私を壊しては駄目だ、という恐怖心から必死に勉強したのだ。今の自分ではどうやったってそんな追い込みと努力は出来ないので、今となっては当時そういう環境にあった事と、自分が勝手にそう思い込んでいた事に感謝している。そうでもなければ国立大学なんて進学出来なかっただろう(笑)

当時の自分語りは置いといて、給湯室に戻る事にする。結局何が言いたかったのかと言うと、まあ、私は逃げたのだ。心配性や恐怖心から出来もしない事を必死こいて出来ようとする、そしてやっぱり出来ない事に絶望するストレスに耐えれなくなった結果、つまり自己防衛である。かわいい自分の頭がハゲ散らかる前に''諦め''という手段で身を守った。そう言う事なのだ。

振り返ってみれば、私は''諦め''を受け入れた事を本当に良かったと思っている。そうでなければ今頃、冗談抜きで私の髪の毛はここには無い。それくらい徹底して心配性だった。「向上心のない者はバカだ」とか誰がが言っていた気がする。今の私は何事も100%''諦め''てしまっているので、最近は心配性で完璧主義だったあの頃の自分が少し恋しい。もちろん、あんな追い詰められたような息苦しい生き方は二度とごめんだ。しかしながら、今の自分にはさっぱり熱量がない。熱くなる前に''諦め''てしまうから。そんな自分に嫌気がさす。

空っぽになってしまったような自分の感情に、ちょっぴり熱を欲する。いらいらするのは自分本意な感情であると反省する反面、自分にとってそのいらいらの対象が感情を動かすくらいの熱を持っているんだと思うと、なんだか愛おしい気もする。ポジティブかよ。

10年ぶりの

ブログです。

中学、高校生の時は「前略プロフ」とか「ミクシィ」とか色々やってたような気がする。というか、やってました。よ。

当時は足跡機能とか、コメントとか、兎に角人に見てもらうのが生き甲斐だった。恥ずかしげもなく個人情報や写メを公開していた。

しかし、今は違う。見てくれる友人も、見てもらうようなキラキラした毎日も何もない。人知れず(寧ろ知り合いに見られたくない)ただ淡々と書きたい、「吐き出したい」のだ。

小学生の頃、必ず夏休みの宿題や、定期的なコンクールへの参加で作文を書かされた。私は作文が苦手だった。とても苦手だった。「作文」を書けば「日記」、「読書感想文」を書けば「あらすじ」だと先生に言われた。何度も言うが、私は文章を書くのが苦手だったのだ。コンクールの度に賞を獲る友人が不思議だったし羨ましいと思った。

ここで既に私が何を伝えようとしているのか不明となっている事と思うが、私にもわからない。ただ、南へと下る新幹線の中でビールを飲みながら書いている。プリッツを齧りながら。因みにお腹はいっぱいだ。

そろそろ酔って(二重の意で)きたのでもうやめよう。ただ「吐き出したくなった」時にまた来るとしよう。